たとえば

 

マッチをすっては悲しみをもやす

 

ゴールデンウィークというものが過ぎてから、わりと緩やかに生活をしている。そんなに人とも会わず、そんなに撮影もなく、そんなに遊びにも行かず、緩やかな生活だ。家で仕事をし、映画を見て、本を読み、出前で生活している。カレンダーとあまり関係のないスケジュールで仕事をしている自分にとって、連休後にこういう現象が起きるのはそんなに珍しいことではない。
こういう時間ができた時は、ほとんどをインプットに当てる。ひたすら映像を見たり、本を読んだり、整理するために文字を書いてみたりする。インプットというか情報収集というか勉強というか。僕の場合は必要な作業なのだ。

 

最近、近所の公園が急速に減っているのがとても悲しい。駅から家まで、自分の中でちょっとした拠り所みたいな気持ちがあったので悲しい。
すごく悔しいことがあった時、いろんな事柄にムカついて眠れない時、とってもいいことがあった日の帰り道、いいライブを見た帰り道、うまく話せた帰り道、夜中、誰もいない公園でぼけっと缶コーヒーを飲むのが好きだ。そこには何もない。ただ、夜と公園。しばらく環境音に耳を傾けてから、イヤホンを取り出し音楽。

酔っ払って気持ちの大きくなってしまった僕は、今、その時、その瞬間で一番のお気に入りを聴く。それは大概ハッピーで甘い、メロウなものだ(気が大きくなっているのでそう聴こえているだけかもしれない)。それで公園で一人うっとりする。いろいろなことを思いながらうっとりする。その時だけは自分の中のネガティヴな思考も影を潜める。

嫌なことがあったのなら、僕はたいていの場合気持ちいいくらいのロックを聴く。それも、心臓と頭をユサユサユサッとしてくれるとびきりのやつ。感情的、演歌のようなロックンロール。それでその時だけはどっぷりその気持ちに浸かってしまおう。夜中の公園に一人だから涙が出ようが震えようがえずこうが何も恥ずかしくないのだ。と、その時だけは誰にも邪魔されず掌を握りしめながらどっぷり感情の湯船の中に浸かってしまう。それで次の日にはケロッとした顔で誰かに会う。

 

こんなのはきっと大人の秘密で、昼間に公園ではしゃいでいる子供達は大人にとっても公園が重要な場所であることは知らない。そもそも彼らが大人になって、その中の何人がこんな大人になるのかもよくわからないが。

 

 

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