KNOCKIN’ ON YOUR DOOR

jumpeiyamada のアバター

朝からL⇔Rの「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」を聴いてしまうくらいご機嫌にうるさい陽射しの中、毛布から出る。まだ寒い日があり、近頃の朝はストーブをしまうかどうか悩ませる。

今週は生放送でやっている某合宿オーディションを見たり見なかったりしているので、それに合わせてわりと早寝早起きをしている。人生をかけてオーディションに臨んでいる女の子たちを画面越しにぼんやり眺めながら、どれだけ感情移入しても自分は間違いなく一線を画した立場で家でレタッチなんかしているととても不思議な気持ちになる。しかしながら、僕も似たような日を過去に生き延びて経験と呼べるようになって今このレタッチをしているのだ、とも思うし、また、そこで死に損なったからこそこの仕事で苦しむ今があるのだ、とも思う。

ある番組で峯田和伸が「負荷がかかっている人間が一番かっこいい」みたいな事を言っていた。なるほどなぁ、と思った。僕らがかっこいいとかステキとか所謂「グッとくる」事象は、その対象に負荷がかかっている場合がとても多い事に気づく。まさに言い得て妙。努力しているとかしていないとか、謎の物差しで測らなければわからない事柄はこれに置き換えられればいいのになと思った。「負荷がかかったかどうかは裏切らない」の方が何となくリアルである。

オーディションには様々な女の子が映っていた。様々なストーリーを持った人間が一つの理由の元に集結して、団結したり競い合ったりしているのは単純に興味深い。だから余計パーソナルな部分に目がいくのだろう。

僕は学生の頃、自分がいかに凡人で才能の無いクソ真面目な人間かということでずっと悩んでいた。好きな人と言えば天才や変態と呼ばれる人たちが多く、変わっているという事にとても憧れていた。大学に入り、様々な人に会っていく頃にそれはピークに達していた。好きなことは何でもやってみた。バンドもやったし、文章も書いたり他にもいろいろ。しかし自分の頭の中で思い描く納得できるものは到底作り出せずやめてしまった。だから周りの才能がある奴には心底嫉妬したし、自分から壁を作ってなかなか仲良くなれなかった。自分が唯一無二の才能がある人間である様に振る舞うこともできなかった。

個人的に今回のオーディションにもそのにおいは感じた。あぁ、自分達とは明らかに異質なこの子にみんな嫉妬してるだろうな、なかなか心開けないよな、わかるぞー!みたいな。個人的な見解ですよあくまで。現場に行ってないし、本当は全然違うかもしれないし。自分がそれ位の歳でそこにいたらそう思うだろうなという話。でも経験上ですが、自分と相容れない子らにはその子らの僕らには全く想像のつかない問題があって、辛さや絶望があるものです。飄々と感覚でフワフワ生きているように見えて、内面的にはそんなに変わらない人の方が多い気がします。誰かが言っていましたが、やはり無いものねだりが人生のようです。だから辛いけどそこに負い目を感じたり、妬んでほしくはないです。真面目に愚直にやる事の中で人の胸を打つ事や面白いと思ってもらえることもたくさんあるはず。あとは自分に無いものを持っている人間と組んで利用するという事。もちろん相手を利用するということは自分も差し出せるものがないといけないが。僕の場合、大人になりいろいろな人に会い、いろいろな才能と出会う中でそう思うようになりました。外野にいる人間が偉そうに言って申し訳ないけど、みんなが自分の持てる手札を全て使い切れる選択をして欲しいと思いました。最後に大好きなリリックを引用。

やらなかった事 やれなかった事とも言うだろう
あんたが人生においてやらなかったことだよ
あなたがやり残したものとは何だい?
ハーフタイムは終わった ここから後半だ
土壇場 モノにする度 MORE YOUNGER
最後まで笑っていたいから頑張る
まだやり残したことがあるんだ

昨日の朝に書こうとしてたブログ、日曜日になってしまった。先程大阪に着きました。
本日14時より大阪野音で結果発表及びフリーライブです。
みんなにとって良い一日になりますように。


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